JAL、国際線就航70周年 羽田〜ホノルル〜サンフランシスコ間、当時31時間

日本航空(JAL)が1954年に初の国際線となる東京/羽田〜ホノルル〜サンフランシスコ線を開設してから、2月2日で70年を迎えた。同社は羽田空港で記念式典を開き、客室乗務員も所属するダンスチームがフラダンスを披露して節目の祝いに花を添えた。

JALは1951年8月の設立から約2年半後の1954年2月2日、日本企業として初めての国際線となる東京/羽田〜ホノルル〜サンフランシスコ線を開設。当時の機材はダグラスDC-6B型機で、東京/羽田〜ホノルル間で給油のためウェーキ島を経由していた。週2便運航で、東京/羽田〜サンフランシスコ間の所要時間は31時間。東京/羽田を午後9時30分に出発し、ホノルルは午後8時40分着、翌午前0時10分発、サンフランシスコには午前11時30分に到着するスケジュールだった。

就航から約2か月間はデラックスクラス(現在のファーストクラス)のみの36席で、サンフランシスコまでの片道運賃は650ドル(234,000円)だった。1954年4月からは現在のエコノミークラスにあたるツーリストクラスも設定された。初便のJAL602/604便には、乗客21名と、運航乗務員9名、客室乗務員5名の35名が搭乗したという。

ホノルル行きJAL74便(ボーイング787-9型機、機体記号:JA874J)の出発に合わせて開かれた記念式典に出席したJALの赤坂祐二社長は、「日本と世界をつなぐ翼として、長年にわたって色々な苦労をしながら今日に至った」と70年の歴史を振り返り、「戦後の発展や、日本人の世界貢献のお手伝いが多少なりともできたのでは」と話した。

ゲート前には、国際線就航当時の時刻表やパンフレット、当時に使用されていた客室乗務員の2代目制服、「City of Tokyo」の愛称で親しまれたDC-6B型機初号機(機体記号:JA6201)のモデルプレーンなど、当時を振り返る展示物が並べられた。

乗客214名(うち幼児6名)を乗せたJAL74便は、午後9時2分に114番スポットを出発。横断幕とペンライトを手にしたJALグループ社員に見送られ、同23分に離陸してホノルルに向かった。