江戸時代の宿場町で感じた究極のサステイナブルツーリズム(PR)

岡山県西部を流れる高梁川の支流である小田川沿いにある矢掛町(やかげちょう)。京都・大阪と下関を結ぶ旧山陽道の宿場町が往時の面影のまま残る街並みが、この町の財産と言えましょう。江戸時代から300年以上も旅人を迎え続けている住民の皆さんの外来の客をもてなす心に触れながら、歴史ある建物を再生したホテルやレストランで過ごすひとときは、他にはない優雅な時間と言えます。数百年という長い時間に育まれた宿場町で感じた「究極のサスティナブル・ツーリズム」について紹介します。(旅行・交通ジャーナリスト・さかいもとみ、AD:やかげDMO)

▲井原鉄道矢掛駅から矢掛宿へは徒歩約10分

矢掛町は、大原美術館などがある美観地区で有名な倉敷から鉄道でわずか30〜40分ほど。山陽本線の各駅停車からローカル路線の井原(いばら)鉄道に乗り継いで行きます。ほぼ全線が高架という井原鉄道の車窓から田園風景が広がる沿線風景を楽しんでいるうちに、目的地の矢掛駅へと到着します。高い位置にあるプラットフォームから眺める江戸時代の街並みを目にすると、早くあの中に吸い込まれて行きたい、という欲望に駆られます。

▲ビジターセンター(観光案内所)「問屋(といや)」

駅の広場から、旧山陽道がまっすぐ通る矢掛町の中心市街地までは徒歩で約10分。ここでの町歩きは古民家を生かしたビジターセンター「問屋(といや)」に立ち寄るところからスタートすべきでしょう。「江戸時代の昔から、人々はこの宿場町で何をどう楽しめば良いのか、と『問うた』ことでしょう。それにちなんで問屋という名をつけました」とやかげDMO(一般財団法人矢掛町観光交流推進機構)で働く佐藤武宏さんが説明してくれました。

街の魅力は「江戸時代のホンモノ」が残ること

問屋で待ち合わせた、やかげDMOの理事長を務める金子晴彦さんに、矢掛町の魅力を尋ねてみました。

「特色はなんと言っても、江戸時代に建てられたオリジナルの建物が多数、往時のままで現存すること。これが街の人々の自慢です」

よく知られているように、東海道や中山道など江戸時代には多くの街道があって、宿場町が5キロ間隔程度に設けられていました。山陽道も同様に宿場があったわけですが、本陣と脇本陣が往時の姿で残るところはこの矢掛町しかありません。

▲左:矢掛宿本陣、右:大名行列イベントの際は正門が当時さながらに飾り付けされる

年間10家以上の大名が立ち寄ったという歴史が残っています。つまり歴史の教科書で目にする「大名行列」が1か月に1組以上もこの町に泊まっていった、というわけです。実際に本陣を見学すると、江戸時代にどこの大名が宿泊したかの「表札」を見ることもできます。230年もの間、一晩最大で900人余りがこの街に泊まったと言いますから、その規模たるや錚々たるものを感じます。もちろんこうした大名行列の時は全員が1か所では泊まれず、あちこちに分泊しました。

▲矢掛宿本陣の内部

実はこの矢掛町では、それに近いアイデアを現代に引き継いだ「アルベルゴ・ディフーゾ」という仕組みを導入しました。これはイタリア発祥のシステムで、地域に散らばっている空き家を活用し、建物単体ではなく地域一帯をホテルとするという考え方を用いてます。その先陣を切って開業した矢掛屋は、「矢掛屋本館」「矢掛屋温浴別館」「旅籠屋 備中屋長衛門」「蔵INN」など街道沿いのそれぞれ離れた古民家を次々と宿泊施設に改装しています。「宿が散在している」ため、フロントのある建物でチェックイン・アウトの手続きをしたり、レストランのある古民家でご飯を食べたり、お風呂に入ったりと、いろいろな歴史ある建物での滞在体験が楽しめるという訳です。シティホテルや温泉旅館であれば館内から一歩も出ずに完結することであっても、ここではチェックインの場所、客室や大浴場の建物、さらには食事場所までもが異なる建物にあるため、旧街道をおのずと何度も歩くことになります。

▲旅館の「矢掛屋」とその客室

その途中では地元の名産品ゆべしを買ったり、お茶を飲んだりすることになりました。その過程で、元々、長年に渡って旅人を迎えて来た矢掛町の人々がサービスに対応し、地域内のいくつもの場所で違った形のおもてなしを受けることができます。

▲矢掛宿名物の「柚べし」

そのコンセプトを意識しているものとして、例えば「道の駅」の作りもここでは一風変わっています。「道の駅」といえば、その地元の物産やおみやげものをいわば”売りまくる”場所になっていますが、矢掛町のそれはずいぶんと雰囲気が違います。道の駅は旧街道のすぐ隣を走るバイパス沿いにあるのですが、本来ありそうな飲食店も売店はなく、トイレと休憩所と物産紹介コーナーが設けられているだけ。何か買ったり食べたりするには、旧街道を散策してお店などに立ち寄ってほしいという意味なのだそう。自信が無ければできることではありません。

▲国道沿いに建てられた「道の駅」

町を歩いてみてすぐにわかることは、地域に住んでいる人たちがかなりの確率で声をかけてくれること。観光客なのにまるで古くからのご近所のように「こんにちは」と挨拶されるのは気分の悪いものではありません。ここが単に田舎だからではなく、よそ者を自然に受け入れる風土が根付いているのでしょう。このように、数百年前に作られた建物、そして街の人々の「揺るぎないおもてなしの意識」を感じた筆者は、これぞ究極のサスティナブル・ツーリズムではないか、と評するに値すると考えた訳です。

しかし、残念なことに現代の旅行スポットはおしなべて、愉快な音楽やキャラクター、アトラクションで楽しませてくれるところが多く、矢掛町のような「昔の建物で、ゆったりとした時間を地元の人々とのおしゃべりと共に過ごす」というスタイルは時代に合わないのかも知れません。むしろ、欧州などからやってくる外国人の「のんびり個人トラベラー」に向けて、この街の良さを説いていくのもまた一つの目指す道なのかな、と考えます。なぜならこうした人々は「数週間にも渡る徒歩での巡礼」といった厳しい旅でさえも楽しんでしまうからです。
 
▲左:旧街道沿いに10軒近いカフェが営業している、中央:石をテーマにしたショコラトリー、右:和スイーツの店は街道の雰囲気にも合う

この矢掛のおもてなしの意識は、観光客だけでなく、空き店舗を使って起業する移住者をも惹きつけています。彼らは都会を離れ、矢掛の旧街道沿いにパン屋やショコラトリー、カフェなどを開業して新しい魅力を発信し、周辺の市町村の人たちが訪れるようになりました。素敵なパブやカフェを目当てにのんびり田舎町に出かけるという姿は欧州でも良くある姿です。その意味でも矢掛には外国人に受け入れられやすい資質があると考えるのです。

外国人に「寄るべきところ」と背中を押そう

巡礼道を求める彼らにとって、四国八十八か所のお遍路さんや、高野山での禅寺体験はすでに欧州などでも有名ですが、「ショーグンがいた時代の建物に自分自身の身を置ける」という体験は、必ずや強力な個人インバウンド訪日客への武器になるのではないかと筆者は考えます。さらに矢掛町では、街の代表的なイベントとして「大名行列」が行われています。

▲毎年11月の第2日曜日に行われる「大名行列」

こうした人々が練り歩く行事といえば、欧州にも「聖体行列」という儀式があって、やはり多くの人々が例年観光にと訪れます。矢掛の大名行列も外国のトラベラーの間で有名になり得る要素を持っているように感じます。

幸いにも、矢掛町には自転車で簡単にいける距離に禅寺・大通寺をはじめとする古刹があります。街の郊外にあるお寺について、一般社団法人やかげまるごと商店街振興会の代表である佐伯健次郎さんは、「ホンモノの禅の世界を体験したい、とこの地を探し当てた世界の若者がこれまでもたくさん来ている」と紹介してくれました。世界中にある曹洞宗の道場で修行をしている外国人の間ではすでに”YAKAGE”はホンモノの町として認知されているようなのです。実際に足を運んでみると、江戸後期から手を入れ続けている庭園について、住職さんが自ら丁寧に説明して下さいました。

▲禅寺・大通寺の山門。多くの欧州人訪日客が訪れているという

こうした素晴らしい歴史に育まれた観光資源とともに旅行プランを作って行くと、きっと新たなアイデアも生まれて来ようというものです。矢掛町の名は、日本人の中では数ある観光地のひとつとして埋もれてしまっているのかも知れませんが、一方で日本を目指す外国人が「ひょっとしたらここは寄ると面白いかも」というリストの中に”YAKAGE”の名があるのかもしれません。ただ、”YAKAGE”を知っている彼らも、わざわざ山陽新幹線のメインルートから外れて、1泊すべき場所なのかどうか悩んでいるはずです。こうした人々の背中を押す「何か」について考えてみるとひとつの答えが出てくるように思います。

外国人が”YAKAGE”に興味を持って来訪することで、彼らの持つ視点により、日本人には感じられないユニークな角度から何か新たな発見をもたらすかも知れません。イベント時を除き、静寂があるからこそ素晴らしい矢掛町が「多くの来訪客で賑わっては困るなあ」という悩みはありますが、これからも持続性のある素晴らしい観光地として歩んで行くことを期待します。